デビュー25周年を迎えたGLAYのギタリストTAKUROがGUITAR MAGAZINE SPECIAL ARTIST SERIESに登場し、『TAKURO -GLAY-』が2019年10月24日に発売となる。
Opening Talk about『TAKURO -GLAY-』
2019年7月某日、都内の撮影スタジオにて行なわれた、松本孝弘との対談直前、先に撮影を終えたTAKUROと急遽行なうことになった30分インタビュー。質問事項を決めていなかったため“この本を、どんなギタリストに読んでほしいのか?”という一点に絞って話をしてもらうことにした。それでは本書をGUITAR MAGAZINE ARTIST SERIES史上初めての“オープニング・トーク”からスタートしようと思う。
ビンテージ・ギターの世界に飛び込んだのは、松本さんがきっかけだとあちこちで言っていますが、ビンテージのギターの音を生で聴く機会の少なさにおいては、そこに足を踏み入れた者としては何かしらしないといけないなと。確かにレッド・ツェッペリンやエリック・クラプトンの名盤を聴けば、素晴らしいプレイとともに当時の楽器の音が聴けるけど、当時はまだビンテージじゃないからね。今、お爺ちゃんお婆ちゃんになった、それでもなお枯れない輝かしいあの音というものを、ギター業界の末席にいる者としては途絶えさせちゃいけない。コンピューターが発達して歌にせよオケにせよ、生なものからPCの中でできてしまう音楽というものがあるとして……もしかしたらそっちがすでにメイン・カルチャーで、ギターのほうがカウンター・カルチャーかもしれないけれど、日本中を毎年ツアーして俺が思ったのは、中央での流行りが全世界を制覇しているわけじゃないっていうこと。ネットで炎上している案件を、福井の田舎に住んでいる農家のお婆ちゃんはたぶん知らない。そういうことは旅をしていると圧倒的に感じる。だからジャズもブルースも廃れていない。この本でもうひとつ付け加えられるのであれば、ギターでメシを食いたいという人たちの、何かしらの参考になればと思う。ジャズで、ブルースで食いたい人、ポップスで、ロックで……ギターで。でもうまくいかないという人たちは、サードアイ……もうひとつの目を持つことは可能だろうか? そんな余裕がもしあるのであれば、それを持つことによって、流行り廃りに関係なく素晴らしい音楽は必ず職業として成り得る。GLAYがそれを証明していると思うんです。GLAYは確かに90年代にたくさんの財産を築き上げてメインストリートのド真ん中にいたような気がしますけど、それでも紆余曲折がありながら、2019年、メンバー4人が仲良く、ありがたいことに大きな会場でライブをやれている。果たしてそれは才能だけなのだろうか? 運なのだろうか? 俺は他の3人を近くで見てきて、“99%の努力”でそれは可能だと思う。ただ、お互いに良くないことは良くないと言い、褒め合える時は褒め合うという当たり前のことをしつつ、もうひとつの目をそれぞれが持っているからこそだと感じる。中学、高校時代から、現代のこのインターネット時代を予言するような動きをHISASHIはしていたもの。TERUもしかり、JIROもしかり。そんな中で、俺だけがその時代、時代において、いわゆるバンドとしての政治をやっていた。それはもしかしたら本当に大切なギターの練習という意味でも、ギターに向き合うって意味でも、20代、30代はもっとやれること、工夫できることはあったなと思う。今、エフェクターをほぼ通さない素のギターという一番逃げ場のないところでやっていかないと、失われた20年は取り返せない。だから大好きなジャズやブルースを自分でやる。裸の音色で自分のメロディを弾く。最初の3〜5年くらいまでは恥ずかしくてね。でも、恥ずかしくても死にはしない(笑)。“GLAYのギター、ヘタっぴだな”と言われても、そこでどう感情を処理するかくらいは学んだからね。そうやってハッキリと自分のダメなところを晒すことで逃げ場もなくなるし、怠けられなくなる。『Journey without a map』というソロをやってみて、ライブの同録なんて聴けたもんじゃない日々ばっかりだけど、それでも“少しずつ良くなってんな、自分の理想に近づいてんな”っていう日々の実感だけを頼りに、この5年間はやってきましたね。